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遠州綿紬のぬくもり工房

ぬくもり工房ロゴ

後継者不足に悩み、地元の伝統産業が衰退しているという話は、どの地方も抱える深刻な悩みではないでしょうか。しかし「がんばれば、チャンスがある」と話すのは、静岡県浜松市にある〈ぬくもり工房〉代表、大高旭さん。

ぬくもり工房では、遠州地域の伝統織物「遠州綿紬(えんしゅうめんつむぎ)」を、自社店舗をはじめ、浜松の百貨店である遠鉄百貨店での取り扱い、県内外からのイベントでの出店の依頼も頻繁にあるという。創業から10年が経ち、いかにブランディングを成功させたかをお伝えします。

言葉はあるけど、名前がでてこない「遠州綿紬」

ぬくもり工房の前身は、もともと大高さんの父が社長を務める繊維卸会社、大幸のネット通販部門でした。廃業予定だった遠州綿紬の事業を、名古屋から帰ってきた大高さんが、その生地の質感、色目に感動を覚え、その事業継続を父にお願いしました。自らが代表を務める有限会社ぬくもり工房として独立したのは2006年4月のこと。

当時は、遠州綿紬という言葉はあったが、今のように使われていなかったといいます。

その後、品番も新しく付け直し、遠州綿紬を絶対に世の中にだす、と決意してから、日夜、遠州綿紬を使った商品のアイデアを練り、コンバースに生地を貼るなど、遠州綿紬を使ってもらえることだけに没頭したが、どれも決定的なヒットにはなりませんでした。当時、ぬくもり工房には自社アイテムがなく、ネット販売による生地の卸売がメインでした。

いま、必要なのは「ブランディング」

「自分たちのオリジナルアイテムを作りたい」と構想していた大高さんは、遠鉄百貨店で当時バイヤーをしていた中村真人さんに現状を相談。すると、思いがけないひと言が返ってきました。「大高さん、それは“ブランディング”が必要だ」。大高さんは「ブランディング」という言葉を、そのとき初めて知ったそうです。中村バイヤーが伝えたかったことは、百貨店をはじめとする売場の商品陳列棚に商品が置かれている姿から逆算すると、ブランド名、ロゴマーク、タグ、パッケージなどを含めたトータルな世界観が必要だということでした。

その時に紹介されたのが、当時デザイン会社のコピーライターだった(現・当社代表)外山でした。その席で大高さんにブランディングの大切さを伝え、大高さんは本格的にブランディングに取り組むことを決意しました。こうして二人三脚の「ブランドづくり」が始まったのでした。

ブランド立ち上げから試行錯誤が続く

まず、手を付けたのが、オリジナルブランドが目指す方向性と遠州綿紬の良さをしっかり伝えるための枠組みづくり。四季の縞柄やブランドイメージマップを作成し、ブランドの世界観を共有。ブランド名は「つむぐ」に決まりました。

つむぐロゴ

「つむぐ」という名前には、人と人の間をつむぐ、織物として遠州綿紬をつむぐという意味に由来します。そして、ぬくもり工房のスローガンを「手のぬくもりは人から人へ」に定めました。ネーミングに続き、ロゴマーク、タグ、パッケージを作り、商品開発を並行して進めました。

つむぐ ハンカチ

1.2m巻きの生地売りを「日本の縞」として、パッケージをリニューアルしたところ、売上が増加。ランチョンマットやコースターを続けてリリースしました。

オリジナルブランドは、立ち上げただけでは買い手がいないので、なかなか思うように結果が出なくても、ひと目に触れる場所への出店は続けました。展示会、ギフトショーなど、大きいものから小さいものまで展示会に出店しましたが、立ち上げたばかりのオリジナルブランドを積極的に取り扱ってくれる小売店はなかなか見つかりませんでした。

「日本の縞」

東京進出への足がかりとなった日

東京の池袋で開催されるCCJクラフト見本市に出展したのは、2013年2月のこと。この頃には商品アイテムも、展示の世界観も完成度は増してきていて、多くのバイヤーの目に止まりました。百貨店や駅ビルからのオファーがあり、エキュート立川での期間限定ショップの話を承諾。ぬくもり工房のブランドの世界観を一気に打ち出しました。

CCJ展示の様子

地元静岡では、d&d静岡店からオファーがあり、こちらでも期間限定コーナーを展開。遠州綿紬という生地を初めて知る人も多く、この時期から知名度が徐々に高まってきたのを実感しました。

直営店のオープンによりブランドの認知が拡大

ぬくもり工房会社案内

直営店の立地については、幹線道路に面していなかったため、不安視する方もいたが、大高さんと外山は「この土地、風景がぬくもり工房の世界観にマッチしている」と確信していました。蓋を開けてみれば、オープンから顧客は順調に伸び、初の直営店ながらも売上が堅調に伸びました。

「星野リゾート」と「遠州綿紬」のコラボが実現

直営店を持ち、ホームページをリニューアルしたことで、その世界観に共感する人が増えてきたのもこの時期でした。その中の1つが、全国に高級旅館を展開する星野リゾートさん。当時、浜松・舘山寺温泉に星野リゾート「界遠州」が誕生。その土地の伝統文化を楽しんでもらう「ご当地楽」に遠州綿紬が採用され、大高さんは全面協力。お部屋のランプシェード、クッション、座布団、ミラーカバー、ベッドスローなどを遠州綿紬でプロデュースしました。他にも大浴場のれん、お土産コーナー、ラウンジなど館内の至る所に遠州綿紬が今も使われています。

星野リゾートラウンジ
星野リゾート客室

「ご当地の名物」といわれるために

全国から出店の問い合わせが相次ぐ一方で、小中学校の講演、授業の依頼が増え、浜松市内の小中学校へ月に何度か訪問するようになりました。「今の子どもたちが遠州綿紬に触れて、浜松の伝統を知ってくれれば、長い目で見て、地域を愛する理由にもなり、この地域の繊維産業を知ってくれるきっかけになる」と大高さんは語ります。2012年からコーナーを設ける新東名浜松サービスエリアでは、ご当地のお土産品として、サービスエリアに立ち寄る人が足を止め、商品を購入していただいています。

地元の神社仏閣から声がかかることも。袋井の可睡斎では、お土産売り場の棚をコーディネート。独自の世界観を打ち出しています。

「遠州綿紬だけではなく、浜松らしい商品やこの土地の良さをあわせて広まってほしい」と語る大高さんは、当社55634運営するウェブマガジンTOWTOWMI.jpとコラボして谷島屋メイワン店でご当地コーナー「えんにち」をオープン。新聞メディアが取り上げ、大きな注目を集めました。

谷島屋書店 えんにちコーナー

フェイスブックの登場以来、SNSにも積極的に取組み、当社のアドバイスに基づき、フェイスブックページを運営。Instagramも取り入れ情報発信の進化をし続けています。

2017年11月記載。つづく。

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